出立
日本からイラン行きのチケットを手配するよりも東南アジアの国を経由した方がチケットが安かった為、
今回はバンコクにも少し滞在しながらイランの旅をする事にした。
旅程
[行き]
Narita – Bangkok(Thai) 6h 30m
Bangkok(Thai) – Mascat(Oman) 6h
Mascat(Oman) – Tehran(Iran) 1h 40m
[帰り]
Shiraz(Iran) – Mascat(Oman) 1h 30m
Mascat(Oman) – Bangkok(Thai) 6h 15m
Bangkok(Thai) – Narita 6h 30m
航空会社はオマーンのLCC, Salam Airだ。
こういう乗った事のない中東のLCCに乗れるだけでも嬉しいものだ。
乗務員はミュージックビデオに出てくるレディガガの様な濃いメイクをしていた。
こういう女性を見るのもこれから見た事のない世界に旅に出るのだという感高のきっかけになって良い。
もっともそれはチェックインの段階から始まっていて、中東の人々が民族衣装で並ぶ列に一緒に並ぶ事ができるのはこれから特別な場所に行く事ができるんだという高揚感を味わう事になる。
オマーンのマスカットからイランのテヘランへ向かう際の窓からの眺め。
砂地に囲まれた陸地に白っぽい建物が多く並ぶ。
色も形も均一な建物の集まりが多いように見える。
そう言えばバンコクからオマーンのマスカット国際空港行きの便の機内では1GB分ついたOamn telの旅行者用のSIMカードが配られた。
オマーンで旅をするのならこれはとても有難い。
乗り継ぎで2時間半程滞在したマスカット国際空港はとても綺麗で心地の良い空港だった。
民族衣装で行き交う中東の人々の悠々とした姿もとても魅力的に見えて引き込まれる。
中東の国々に惹かれる中、オマーンもいつか旅先にしてみたい国の一つになった。
テヘラン到着
夕方5時頃にイランの首都テヘランの空港に到着する。
掴み取りにくい想像だけの夢の世界がついに現実そのものとなった。
夢から抜け出たその空間には現実的な空港の白いロビーが広がっており、自分はその床に足をつけて立っている。
自分がいるのは紛れもなくイランという国である。
まずは現地通過を手に入れようと空港内の両替所に向かった。
そこで試しに円の両替を頼むがたちまち断られてしまう。
もう今日は現金がないから交換はできないのだそうだ。
ユーロも所持していると伝えるが返答は同じだった。
空港内にある両替所はこの1店舗のみであった。
急激なインフレで貨幣価値が不安定な状況にあり、ちょっと1、2万円の量の両替するだけでも札束になってしまう。
そういう状況ではこんな事も仕方がないのかもしれない。
しかし両替所が現金切れで両替ができないというのは初めて遭遇する状況であった為、少し面食らってしまった。
仕方がないので次はsimカードを手にいる為、空港内のiran cellのカウンターを訪れる。
イランではドルやユーロ等が使える為、少額だけ余計に持っていたユーロで支払いを済ませた。
今回の旅で現金は505ユーロと日本円6万円を持ち込んだ。
その内、450ユーロはデビットカードにチャージして使い、20ユーロはその手数料として払う事が決まっている。
支払いが煩わしいので現地人はほとんどの支払いをデビットカードで済ませる。
外国人旅行者用のデビットカードもある為、今回はそれを利用する事にした。
SIMカードの価格は5ドルもしくは5ユーロだった。
ドルもユーロも同じ扱いらしい。
SIMを携帯に差し込み設定を済ませ、これでタクシー配車やマップのアプリは使えるようになった。
しかし如何せん現金がないしクレジットカードも使えない。
アメリカとの関係悪化でイランでは2023年現在イランではクレジットカードが使用できないのだ。
キャッシュカードを使ってATMで現金を引き出す事もキャッシングする事もできない。
それでもともかく空港からホテルまで辿り着かなければならない。
使えるユーロはあと30€だけあった為、それを支払いにあててタクシーに乗る事にした。
しかし空港内のタクシーのカウンターの女性に話しかけるも英語が通じずeuroという単語さえもそれは何だと首をかしげられてしまう。
どうしようかと思うのも束の間、そこへ空港利用客のイラン人女性がやって来た。
そして流暢な英語で間に入り、伝えたい事を汲んで話をつけてくれた。
その後も一緒に空港を出てタクシーのチケットを受け取る窓口と乗車の列に付き添ってくれた。
女性は大学生位の娘さんを連れていてどちらもにこやかで親切にしてくれる。
しかしこの際に随分としつこいタクシーの客引きにも遭ってしまった。
(以降、イラン滞在中こんな目には一切遭わずに済んだのでこれは完全に例外的な出来事だった。)
2人の非正規のタクシードライバーが近づいて来て「俺のタクシーに乗らないか」と手招きをし、そこへ被せるようにして「いや、こっちだ、俺のタクシーに乗るんだ」という小競り合いが延々と繰り返される。
女性も何かペルシャ語で言ってくれているし、こちらもタクシーは不要だと言っているのにも関わらずどちらも我が強く一向に引かない。
結局いったんは離れたもののまたタクシー乗車列のところにまでやって来て、両替ができないなら両替所について行くから一緒に行こうと引っ張っていこうする。
タクシーの支払いに必要な15ユーロをぴったり用意できないと言って困っていたのを聞かれていたのだ。
女性もそれには頷いてユーロを崩す為に行って来た方がいいという調子だったので付いていく事にした。
再び空港内に戻り1Fからエレベータに乗る。
両替所があるのは2階だった。
ところが上りのエレベーターには乗らず、なぜだか下りの方に乗せられた。
おやと思っているとエレベータは暗い駐車場のフロアに着いた。
このドライバーはまだ自分をタクシーに乗せたいようだ。
車に連れて行こうとするドライバーに背を向けてタクシー乗車列に戻ろうと脱出を試みる。
するとそれに気づいたドライバーがまた追いかけて来て今度は現地通貨の札束を見せて両替をししきりに勧めてくる。
レートも計算も良くわからないし信用もできない。
何度も要らないと断りながらようやくエレベーターに乗って抜け出し、元いたタクシー乗車列の女性達のところまでやっとの思いで戻った。
再び合流ができて胸を撫で下ろす。
直ぐににタクシーも来て乗車でき、窓からにこやかな親子に手を振り車が出発する。
こうして空港から約1時間かけて市内のホテルへと向かった。
ホテルに到着すると受付のイラン人男性が迎えてくれる。
心配していたタクシーの支払いに必要だったユーロの両替も嫌な顔をせずに崩して親切に対応してくれた。
中々海外で現金を、それも外貨で両替して貰えるなんて事は一般の国では難しい気がする。
部屋はエメラルドグリーンで天井の高いプライベートルームだった。
20USD程で宿泊する事ができた。
チェックインを済ませた後は目的もなくホテルの周りを少しだけぶらついてみる。
道端には鳥籠を乗せた原付が停められていた。
イランでは時折道で鳥籠を提げて移動する人を見かける。
何をするともなく歩いているとPARCOの文字を見かけた。
ごく普通の紳士服屋だけれど日本人としては反応してしまう名前だ。
やたらとマネキンが大きい。
全部が全部大きいという訳ではないようだ。
マネキンを見るだけでもあらゆるもののイメージがつかなかったイランでは何か楽しい気持ちになる。
KENZOの文字も見えてイランで服飾ブランドのKENZOが展開しているのかと嬉しくなったが、
どうやらレストランか何かのKENZO違いのようだった。
ホテル周辺は何だか交通量が多かった。
どこかへ行こうにも現金がないので身動きが取れないし水一本と買えない。
明日デビットカードを手にいれるまでの辛抱だ。
近くにGas station Museum of Darvazeh Dowlatという面白そうなミュージアムも見つけたので営業時間に一度訪れてみたい。
ミュージアムの隣には銅像の建つ広場もあった。
イランの詩人Saadi Shiraziのものらしい。
今日のところはこれ位にして明日から観光を始めようと思う。
しかし空港で女性に助けて貰えなければどうなっていたか分からない。
幸運に恵まれた旅の始まりだった。